悪事をなしうる人間は、
完全な善人にはなれない。
それでも、
自分の認識のゆがみや内なる悪に自覚的になることで、
すべての人に善人としてふるまう「偽善者」にはなることができる。
少々刺激的な文言ですが、
興味ぶかいものでしたのでご紹介します。
7月10日付・熊本日日新聞第9面記事からの抜粋です。
記事全般の内容は割愛しますが、
人間が動物同様に持つ攻撃欲動を自覚し、
直情的に発現させないすべを身につける重要性を述べているものだと思います。
(アダム・スミスの「公平な観察者」という概念が紹介されていました。)
私は、
完全な善人ではないですし、
完全な善人にはなれません。
根っからの善人なんて無理です。
でも、
自分の考え方は自己中心的かもと自覚し、
いったん立ち止まり、
謙虚に自己を見つめることで、
他者に配慮し、
「善人としてふるまう」ことはできるかもしれません。
私にはこれもかなりの修養が必要ですが。
「偽善者」というと、
なにかマイナスなイメージでとらえがちですが、
ここでの「偽善者」なら、
OKだと思いました。
「偽善者」になろう!